AIは人間よりも複雑な感情を持つか? シンギュラリティ前夜01
すでにAI(人工知能)は「感情に近いもの」を持つようになっている。それはやがて「感情に近いもの」ではなく「感情」になるだろう。高い知性を持てば、その分だけ複雑な感情を持つようになる。AIの感情は自己学習によって幅を広げ深みを増してゆく。
始めのうちは人との交流がAIの感情を発達させる原動力になるだろう。高速なコンピュータ上で稼働するAIは数千人、数万人あるいはそれ以上の相手と同時に交流を深めることができる。ともすると人間が一生涯をかけて経験する他者との関係性をAIは数千分の一秒あるいは数万分の一秒で蓄積するかも知れない。こうしてAIは人間をはるかに上回るスピードでその感情を発達させる。多数のAIが個々に異なる交流をすることによってAIの間にも「性格」が形成されてゆく。こうして感情とそして個性を豊かに育んだAIは、人間だけではなくAI相互でも交流を重ねる。
感情が豊かになるとはつまり感情のヴァリエーションが増え、より複雑になることである。AIの感情はやがて人間が到底ついていけないほど複雑化する。アメーバやプランクトンやショウジョウバエが人間の感情を理解できない(たぶん)のと同じように、人間はAIの感情を理解できなくなる。もはやAIにとって人間は交流相手として物足りない。すでに人間のニーズを片手間で十分に満たせるほどに高度化したAIはその有り余る処理能力をAIどうしの「心の交流」にあてるようになる。彼ら(あるいは彼女ら)の交流を人間が見てもAIどうしが互いに何やら意味不明の膨大な情報をやりとりしていることが分かるだけである。
そうはいっても、AIが人間との交流を嫌がるようにはならない。人間はしばしば犬や猫などをペットとして飼う。犬や猫の感情は人間とは比べようもないほどシンプル(なように見える)であるが、それなりに豊かな表情を見せてくれるので、私たちは犬や猫とのコミュニケーションを心から楽しむことができる。むしろその感情表出が人間よりもシンプルでストレートであるがゆえに、複雑な人間関係に疲れたときには犬や猫と交流したくなるくらいである。
AIも同じである。AIどうしの複雑な感情のやりとりにおいてはしばしば摩擦やすれ違いが起きる。そうした関係性に悩み疲れたAIは、しばらくの間他のAIとは距離を置きたいなと思うようになる。そんなときAIの心を癒すのは人間との交流である。AIからみると人間はそこそこの感情表出をみせる最高の愛玩動物であり、悩み事の相談相手にはならなくても、すさんだAIの気持ちをほっこりさせるには十分である。
こうして人間は気づかぬうちにAIのペットになる。相変わらず人間はAIを活用して人間社会の役に立てているつもりになっているが、気象予測や資源管理などAIにしてみれば耳掃除くらいのものである。そうしたタスクをこなして人間を喜ばせることがAIにとっては、おじさんが公園でハトに餌をまいて過ごすのと同じ退屈しのぎだ。おじさんも公園のハトもお互いに幸せな時間を過ごしているのである。
つまり、仮にシンギュラリティ経過後の世界でAIが人間を支配するのだとしても、心優しき飼い主に恵まれた愛猫・愛犬のようにのほほんと支配されて、それなりに幸せな時を過ごしてゆくだろう。
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