昭和のカセットテープ
CDが発売される前にはLPレコードが音楽頒布の主流でしたが、子供たちの間で自分のレコードプレーヤーを持つ子は少なく、そのかわり小学校高学年や中学生になるとカセットテープレコーダーつきのラジオ ラジカセを親に買ってもらっていました。
はじめのうちはラジカセでラジオの歌番組を録って繰り返し聞くというのが最も基本的な楽しみ方でした。留守録ができるタイマー付きのラジカセもありました。また、レコード屋さんには音楽が入った「既製品のカセットテープ」が売られていました。LPレコードとしてリリースされているのと同じ内容が入っているカセットテープです。これはLPレコードと同じくらい高価、あるいはむしろテープのほうが高かったようにも思います。考えてみるとLPはプレスで量産されるのに対し、テープをコピーするにはそれなりの時間がかかるはずなので値段が張るのもうなづけることです。
ともかく、自分で録ったもの、あるいは自分で入手したものを自分で、聞くことが主であり、せいぜい友だちとテープを貸し借りする程度でした。私の場合は音楽だけでなくNHKの語学講座番組をカセットに録って繰り返し聴いて勉強していたことも懐かしく思い出されます。
やがてカセットレコーダーが二つついた「ダブルラジカセ」が普及し出すと、ダビング(コピー)によって友だちと音楽をシェアするようになりました。また複数のテープから好きな曲だけを一つのテープにまとめる、つまり編集によって自分なりのベスト盤をつくるということも可能になりました。そうして手間暇かけてつくったベスト盤テープを異性にプレゼントするという、今考えれば赤面してしまうような習慣も生まれました。
人気のあるバンド、歌手のアルバムはダブルカセットを持っている子の手によって繰り返しコピーされました。厳密には著作権法違反になりますが、中学生の私たちはそんなことはつゆ知らず、あるいはレコードの裏に極小の文字でそういう注意書きがあっても自分たちのしていることだとは気づかずに公然とやっていました。だいたい、それがいけないというのならダブルラジカセは何のためにあるのでしょう。
こうしてテープを友だちの間でコピーしあう、融通しあうことは仲間内の連帯感を強める一種の儀式であったようにも思います。インディアンが友好のしるしに水煙草を回し飲みするようなものだったのかも知れません。
コピーされたテープをまたコピーそれをまたコピーと繰り返すほどに音質が落ち、私がコピーしてもらった中には音がモコモコヨレヨレになっているものもありましたが不満は感じませんでした。そもそもカセットテープの時代、中学生・高校生の関心は歌そのものにあり、音質に関しては今よりもずっと無頓着だったのではないかと思います。ともかくこんな風にしてダブルカセットラジカセは中学生・高校生の間に音楽のシェアという文化をもたらしました。
ラジカセの中には簡易なマイクロフォンが付いているものもあり、声や楽器の音を録音することができました。それを使ってユニークなテープをつくる他愛のない遊びも流行りました。
テープはどこにでも売っていました。特売があればまとめ買いもしました。マクセル、ソニー、TDK、さまざまなメーカーの、さまざまな長さのテープが店頭に並んでいました。
また、中学生のころにはSONYのカセット式ウォークマンがすでに普及していました。ウォークマンは音楽の聴き方を変えた発明としばしば評価されますが、ウォークマンを学校に持って行って友だちに聞かせるという方法によって、音楽がシェアされるスピードを飛躍的に上げたという功績もあるのではないかと私は思います。
CDが登場し、CDラジカセが普及するとCDからカセットテープに録って友だちに上げたりするようになりました。その後 MDが登場した後も、カセットテープはしばらくメジャーなメディアであり続けました。私が思うところ、MDに関しては「ダブルMDラジカセ」がほとんど登場しなかったため、友だちとの音楽シェアという点においてはカセットテープのほうが幾分勝っていました。
今やiPodやスマートフォンで数千曲の音楽を持ち歩ける時代になりましたが、1時間のテープをコピーするのに1時間かけることを厭わなかった時代を愛おしく思います。
ほんの30年ほど前の話です。そして、もう30年も昔の話です。
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