我慢の国 日本。我慢の民 日本人。

「みんなが我慢している。あなたも我慢しなさい。」 …。もし日本国憲法の前文に手を加える余地があるのなら、こう書き加えるべきではないかととみに思う。 


日本を一つにまとめているのは他ならぬ「我慢」である。 

天下を統一したのは徳川家康ではない。みんなの我慢だ。 


子供の頃から我慢することの大切さを教えられた私達は我慢強い。

我慢強さ= patienceは人類普遍の美徳と言えようが、自分の我慢を声たからかに喧伝し、お互いの自由をではなくお互いの我慢を尊重しあい、あなたも我慢しなさいねと言われれば誰も抗わない。これが日本である。これが日本人である。 


それだけに、我慢しない人へのバッシングは半端ない。徹底的に排除する。抹殺する。もはや「我慢原理主義」だ。 


1億1千万の我慢のエネルギーが溜まりにたまって、それが噴火して富士山ができたり、大地を揺り動かしたりしているのではないかとさえ思う。 


とはいうものの我慢することを誰一人望んではいない。喜んではいない。本当はみんな我慢なんかしたくないのだ。 心の底では、いつか我慢しなくてもよくなる日を待ちわびながら人生をやりすごす。 


だから高齢のために認知力が低下したふりをして好き勝手なことをする人もいる。好き勝手なことをする老人をみても、みんな我慢する。うまく出来た世の中だ。 


これからは、いろんな文化的背景を持つ人がこの国に入ってくる。元からこの国に暮らす私たちとの間で誤解や摩擦が生じないようにするためには、外国人にも「我慢」をおぼえてもらう必要がある。日本は我慢の国ですよ、日本=我慢ですよ、と知ってもらう必要がある。 


日本が我慢しているように、世界も我慢しなさいと、世界に言うべきである。常々、日本人どうしがそうしているのと同じように。