山で他人から話しかけられること、美術館で他人から話しかけられること

一人で登山道を歩いているときに、見ず知らずの他人から、会話を持ちかけられることがある。 


すれ違いざまの「こんにちは」とか「おはようございます」程度のものではなく、よくこの山に来るのか?、最近ほかにどんな山に登ったのか?、住まいはどの辺りなのか?、下山後は温泉に立ち寄るのか?…登山者どうしの挨拶というよりは一歩立ち入ったものである。

 向こうもこちらも登山愛好者であるし、僕としてそういう会話にそれほど違和感があるわけではない。 


それでも、あえてこの際正直にいうと、山を歩いているときに他人と会話を交わすことに僕はあまり乗り気ではない。 

なぜなら、僕は山を歩くことによって、他人との接触をいっさい断ち切って、徹底的に「独りに」なろうとしているからだ。 


家にいて、たまたま誰かと会う用事もなく電話も掛かってこないという「受動的な独り」とは異なり、山へ行くことで僕はより積極的にそして徹底的に独りになることができる。そういう独りの静かな時間が僕にはどうしても必要なのだ。 


そんなわけで、僕は山を歩いているときに他人との接触を好まない。

少し前のことになるが、美術館で他人から話しかけられることについて物議があった。 ことの発端は、美術館で女性をナンパすることについて書いた個人の発信がネット上で炎上したことであったように聞いている。 


おそらく、美術館へ一人で出かける人は、山へ一人で行く僕と 似通った動機にもとづいていると思う。だからそこで見ず知らずの他人から話しかけられることを望まない、という気持ちが僕にはとてもよく分かる気がする。 


他人と交流したいのなら、美術サークルとか同好会とか、鑑賞ツアーに参加するとかすればよい。 一人で美術館にやってきて、一人で鑑賞している他人に話しかけるのは、いささか奇異であると僕には感じられる。 


同様に、山つながりで他人と交流したい人は山岳サークルや、友人どうし、あるいは昨今ではネットで同行者を募ることもできるというから、連れだって登ればよいと思う。 

他方、登山道において他の登山者と、こんにちは程度の挨拶を交わすことは、よい習慣だと思う。 

山という場所が、自然の危険ととなりあわせで、いざというときには見ず知らずの他人どうしが助け合わなければならないことや、 また僕が好んで歩く里山や低山というのは、多くが私有地、入り会い地であって、そこへ分け入ってゆく以上、そこで出会う他人と挨拶を交わすことは 当然のマナーであるようにも思える。 

しかし、だからといって、個人的な会話を交わさなければならいとまでは思えない。


 僕は 人嫌いではない。人と会話するのは好きなほうである。しかし、独りでありたい時間というものもある。 


僕の書いていることが世間一般の感覚から妥当なのかどうかは正直のところ自信がない。 

安全の観点からあまり推奨されない単独登山を常習する自分の言い分をどこまで強く主張してよいかも分からない。 


だからこれは僕のわがままかも知れないのだけれど、 山では僕は 他人と交流はせずに、独り静かに歩きたいのだ。