ツツチ

中学1年生のときクラス別の合唱コンクールで、「大地讃頌」という曲を3年生が歌うのを初めて聴いた。厳かで気品にあふれ、雄大な山並を思わせる曲想を僕はすぐ好きになった。けれども1年生の僕は楽譜を見たことがなく、耳だけで聴く歌詞は大部分が意味不明だった。


中でもいちばん謎めいていたのは、「ヒトノコソノタツツチニカンシャセヨ」 という部分である。それはまるで、霊媒によって伝えられた死霊の口寄せか、あるいは海軍航空隊に出撃を命じる暗号電文のように感じられた。ずっとずっと後になってからこれが「人の子 その立つ土に感謝せよ」だということを知ったのだけれど、当時13歳の僕は考えに考えた末、「人の子、その他 『ツツチ』に感謝せよ」だろうと目星をつけた。つまり、「人の子に感謝するのはもちろんのこと、『ツツチ』にも感謝しなさい」…きっとそういう意味だろう。残された課題は、『ツツチ』という正体不明の存在がいったい何者なのか?という謎を解明することだった。 


現在であれば、google で「大地讃頌_歌詞」と検索すればあっさり解決するのだが、その頃のインターネットはようやく萌芽をみたばかり。とりあえず僕は図書室で調べてみることにした。原色植物図鑑から水木しげるの妖怪奇譚にいたるまで、「ツツチ」が出ていそうな本を片っ端から調べたけれど出ていない。ブリタニカ大百科事典、平凡社カラー百科事典も開いてみた。しかし、「ツツジ」や「ツツガムシ」はあるけれど「ツツチ」はない。 


あきらめて、同じ部活の3年生に聞いてみることにした。「先輩、『ツツチ』って何ですか?」。先輩は僕と眼も合わせず「ツツチ?知らない」とぶっきらぼうに答えた。他の先輩にも質問してみたけれど結果は同じだった。驚くべきことに3年生たちはツツチが何たるかも知らないまま、ツツチに感謝せよと熱唱しているのだ。僕はこの件で3年生を頼りにするのはやめて、こんどは音楽の先生に聞いてみた。「先生、『ツツチ』って何ですか?」 「ツツチ???」、先生は仕事の手を休めて斜め上30度くらいの空間を見つめてしばらく考え込んだあと、申し訳なさそうな声で「ごめん、分からない」とつぶやくように言った。そこで、僕は全てを自分の頭で解決することにした。真理に到達するにはむやみに他人をたよらないほうがよい。 


「ツツチ」の正体は何者か。3つの可能性があった。一つは、ツツチという名前のありがたい神様ではないかという可能性。古事記とかに出てきて、太古の昔この日本をという国を日本たらしめた尊い神様。「ツツチ」はたぶん省略形で本当の名前はもっと長いのだろう。たとえば…「アマガハラノツツチノミコト」…こんな感じ。ツツチなくして今日の日本は存在しえなかった。だからツツチに感謝せよ。…我ながら方向性としては悪くなさそうだった。


もう一つの可能性は、昔むかし民衆の暮らしをよくするために献身的な努力をして、…たとえば、荒波が打ち寄せて旅人がしばしば命を落とす危険な海岸に一生かけてトンネルを掘ったとか、自分から生き埋めになって鬼の怒りを静めたとかして…今でも「ツツチどん」とか呼ばれて民衆の尊敬と感謝を集め、駅前に銅像が立っている、なんとかツツチ之助、とか、なんとかツツチ左衛門、とか、そういう伝説的な偉人。…これも発想としてはなかなか良い。けれども神様にしろ伝説の偉人にしろ、いまひとつしっくり来ない。この方向を掘り下げていってもツツチの気配がなさそうだ。僕は行き詰まった。 


ツツチの正体が神様でもなければ伝説の偉人でもないとなるといったい何だろう?

僕は第三の可能性に賭けてみることにした。「ツツチという名前の不思議な力をもった生命体」という線である。たとえば、何百年もの昔から深い滝壺に住みついている白い大蛇、とか、そういう類いのものだ。無病息災、五穀豊穣、家内安全、なにもかも、ひとえにツツチさまのおかげだと村人は信奉してやまない。それだけに山の木をむやみに切り倒したり、川にゴミを捨てたりするとツツチさまのたたりがあると恐れられてもいる。「ツツチに感謝せよ」。…なんら違和感がない。かなりツツチに近づいた気がする。しかし、それがどんな姿・形をしているのか?…想像するしかない。 そこで僕はあらん限りの想像力を駆使して「ツツチ」の想像図を描いてみることにした。多種多様なツツチの姿を思いつくまま数学小テストの裏やらノートの端っこやらに描いた。あるものはモスラの幼虫のようであり、あるものは空飛ぶチョウチンアンコウのようであり、またあるものは。


やがて木枯らしに枯葉が舞うようになったある日のこと、ついに僕は決定打というべき「ツツチの想像図」を完成させ、長い長い試行錯誤にようやく終止符を打つことができた。 僕が到達したツツチは、巨大なナメクジのような身体と、歯のない大きな口と、クリクリした眼と、半透明の皮膚をもつ生命体であった。それはとても愛らしく親しみのある容貌をしており「神秘的な力を宿す生命体」というよりも、どちらかと言えば、おばけのQ太郎の遠縁の親戚のような雰囲気をまとっていた。けれども僕が描いたどのツツチにも増してツツチ的であり、身体のあらゆる部分にツツチ感がみなぎっている。これこそが正真正銘、ツツチの正体であると僕は確信した。たとえ誰かが「これはツツチじゃない」と異議を申し立てても、「いえ、これがツツチです!」と、毅然と言い返せる自信があった。僕はしばらくの間、給食献立表の裏に描いたツツチに感慨深く見入っていたけれど、やがて満足し、図の右下の余白に「ツツチ」と書き入れた。そしてクリアファイルに大切にしまった。 


ご想像のとおり、3年生になって大地讃頌の楽譜をみた瞬間、僕の苦闘の全ては幻になった。桜の花びらの舞い落ちる四月の風はどこか寂しい。僕は長い間大切にしてきたツツチの絵を丸めてゴミ箱に投げ込んだ。 


けれども今この歳になってみると僕のツツチ探求は決して無駄ではなかったようだ。山深くの原生林を歩くとき、僕のすぐ近くにいつも何かがいる。誰も姿を見たことのない、人知の及ばない、優しさにあふれた存在がいつも僕を見守っている。ツツチだ。ツツチはたしかに存在するのだ。