AIの知性が人間を超えるということの地球的意味 シンギュラリティ前夜03
現在のところ、人間は地球においてその命運を予見し、地球全体の利益のために何らかの行動をとり得る唯一の生物である。実際に有為な行動がとれているか否かは別として、人間は地球上の「支配的存在」であるとは言える。「AIが人間をうわまわる」ことによってこうした人類のポジション、あるいは力関係に何らかの異変は生じるのだろうか?
地球誕生以来、支配的生物の地位は身体の大きさや強靱さや運動能力、あるいは繁殖力といった、一言でいえば生物としてもっとも強い動物によって引き継がれてきた。ところが人間は象のように大きくはないしクマやライオンほど強くもない、チーターのような瞬迅さもなければ蝿やゴキブリなどのような繁殖力もない。人類はコミュニケーション能力、思考力、創造性といった「知性」によって支配的地位を獲得したのである。
今後人間がこの支配的地位を他に譲るとすればそのシナリオは二つある。
・ひとつは新型ウィルスなどの病原体によって人類が著しくその個体数を減らすか、あるいは絶滅する可能性であり、
・もう一つは人間よりも優れた知性を持つ存在の出現である。
新型ウィルスなどの病原体が蔓延したとしても、AI(人工知能)がそれら生物的病原体に感染することはない。AIがハードウェアの再生産や電力など動力源をコントロールしてさえいれば人類が消滅したあともAIは存続する。
他方、将来人間以外の動物が知性面で人間を上回る可能性はあるが、それまでには数万年を待たなければならないだろう。したがって人類のあとを引き継いで地球上で支配的な地位を占めるのはAIであると見通せなくもない。
となれば この地球上における人類の後継者として、AIは人工物であるとはいえ、最有力候補であるとは言えないだろうか?
ところで、人類は爆発的な増加を続けついに地球環境に影響を及ぼすまでに至っている。このまま人類が地球の覇者であり続けることは地球全体の利益という視点でみればあまり好ましいことではないようにも考えられる。ぼちぼち交代すべきなのだ。そして現在、深刻な温暖化を回避させるために人類が一致して方向転換できるか否かの瀬戸際にいる。言い換えれば人類が支配的存在としての責任を果たせるか果たせないかという分水嶺にいる。
まさにこのタイミングで 人工知能が隆盛をみている。そして地球環境維持のための有効な対策を立案するのにAIをたよる動きが広がり、依存しつつもある。すなわち人類はすでに地球の支配的生物としての決定権を、つまりは責任の一端をAIに託しつつあるのだ。かつて経営不振の航空会社が製造大手の名経営者をトップに連れてきたみたいに。
またこのタイミングでAIが登場してきたことは、あたかも人類がその支配権喪失の機を予感して みずからの後継者を生み出したかのようにも見える。
さまざまな生物の相互依存関係や食物連鎖のありようをみていると、生物が、自覚することなく知らず知らずのうちに生態系全体に寄与する行動をとっているように見えることがある。まるで生態系そのものが意志をもっているようである。個々の生物の意志の上位に存在する「生態系の意志」。
ことによると人間はこの「生態系の意志」に誘われてAIを生み出したのかも知れない。さんざん地球環境を破壊してきたことの責任をとって退場させられるついでに後任の育成も命じられたわけである。アパートを引き払うときに、壁や床の修繕費用だといって大家さんが留保する敷金みたいなものとしてAIを生み出したのかも知れない。
このまま人類が支配的地位に固執して地球をダメにしてしまうのがよいか、あるいはいさぎよく主導権をAIにゆずりわたすほうがよいのか?微妙なところだと思う。後者であれば文字通り「AIが人類を支配する」ことになるのだから一抹の不安はあるが、にっちもさっちもいかない膠着状態に暗澹とし続けているよりは重責をAIに振って肩の荷を降ろせるというメリットはある。
つまり自営業の人が店をたたんでサラリーマンになるようなものだ。最初は寂しさ、虚脱感を感じはするが、やがてはある種の気楽さ、安心感に身をゆだねるようになってゆくのだ。というわけで、AIが支配する地球でAIの采配の下に人類がかしづくという未来も、存外「住めば都」なのかも知れない。
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