AIが結婚相手を決めるとき シンギュラリティ前夜05

現時点ですでに大手結婚紹介所ではマッチングにAIを活用しているとのことで、AIによって結ばれた夫婦も数多く成立しているようである。婚活サイトではユーザーに対して「おすすめのお相手」としてカップルが成立しやすい相手候補を表示する機能を備えているが、こうしたものもAI草創期の活用事例と言えるだろう。今回は こうしてAIをつかったマッチングというものが将来人の結婚観に何らかの影響を与えるのか?ということについて考えてみたい。


結婚を前提として交際する相手の候補をAIが提案するということに対して私は不思議なほどに違和感を感じない。AIはあくまでも候補者を提示するだけであって最終的に交際するか否か、結婚するか否かを決めるのは本人である。数百人もの登録者の中から独力で候補を絞り込むのは至難の技だから、ある程度AIが目利きをしてくれるのはありがたいことである。


AIが提示した候補が気に入らなければ気に入らないで、その候補のどこが気に入らないのかを自己検証すれば、自分にとって理想のパートナー像がより鮮明になってくる。お気に入りボタンを押さずにスルーしておけば、AIの自己学習によって次第に自分の理想に近い候補が画面上に出てくるようになる。つまり現在のところAIの役割はパートナー候補を提案するのみであって最終的に結婚相手を決めることに重要な役割を持っているわけではない。


しかし将来人々はパートナー選びにおいて自分自身の第一印象や直感を当てにせず、もっぱらAIの予測に依拠するようになるかも知れない。さらにAIはパートナー探しのみならず、そもそも結婚すべきなのかどうか?、特定のパートナーを持つべきなのかどうか?といったより根源的な問いに対してもAIなりに答えを出すようになるかも知れない。



AI結婚の隆盛は恋愛結婚の衰退である


こうして実質的にAIが結婚相手を決めるようになるということは、出会い・交際のきっかけを自分でつくるのではなく他者にゆだねているという意味において「お見合い結婚への回帰」という一面がある。さらに、古来どちらかと言えば社会的階層の高い家庭=良家の子息・令嬢に多かったお見合い結婚の「大衆化」であるとも言える。


そしてこうした新タイプのお見合い結婚が隆盛することはとりもなおさずその対極にある恋愛結婚が衰退してゆくということである。つまり将来結婚を望む人の大半がAIを介して出会い交際するようになると、そのぶん恋愛結婚する人はいなくなるのだ。戦後日本の個人主義に後押しされた恋愛結婚全盛時代の終焉となるわけで、ちょっとした社会変化である。



AI結婚で人は幸せになれるか?


さて。お見合い結婚であれ恋愛結婚であれ出会いのきっかけをつくるのは「人」である。人が出会いをつくったからにはその関係性を大切にあたためようというコミットメントが多かれ少なかれ生じるものである。ある種の使命感と言い換えてもよいだろう。つまり、パートナーに対してはもちろんのこと、お見合い結婚であれば紹介者に対して、恋愛結婚であれば自分自身に対しても幾分はコミットすることになるのだ。だから大抵の人はパートナーとの関係を温め、維持することに対して相当の努力をする。その努力の対価として「いろいろ大変なこともあったけれどこの人と一緒になれて幸せだった」と感慨するようになる。


つまりパートナーとの幸せというのは、出会った時点での相手との相性や諸々の条件もさることながら、その後の努力の積み重ねにも大きく依存するのだ。結婚した後も相手の存在を当たり前のものとして享受するのではなく、関係をよくする努力を惜しまなかった人には、その努力相応の幸福を感じられるようになるということである。その重要な基盤が、上述の「コミットメント」ではないかと思う。


さて。AIは人ではなく人の創造物であり、つまり機械のようなものである。そのAIがパートナー選びに際してほぼ決定的な役割を担うようになったとき、こうしたコミットメントはどうなるのだろうか?、AIが決めたパートナー同士であっても人はこれまでと同じように二人の関係を大切に温め育ててゆく努力を惜しまずに続けるのだろうか?それとも今までとは異なる方向で幸せの意味を織り出してゆくのだろうか?