昭和の図書館
小学生の頃、友達が少なかった私は放課後の時間の多くを図書館で過ごしました。
現在図書館の本はたいていバーコード管理かICタグ管理になっていますが、昔は紙カード式管理でした。利用者には貸し出し可能冊数と同じ数の厚紙でできた「貸し出しカード」が発行されて、借りたい本をカウンターに持って行くと、職員が本の中から書籍管理カードを抜き取って貸し出しカードの中に挟み込みます。本の裏扉には貸出期限を押印する紙が貼ってあり、職員が貸出期限の日付をスタンプで押印すれば手続き完了です。
貸出期限を超過していると(返却延滞していると)催促の電話がかかってきたり、そのまま返すのを忘れていると督促のはがきが来たりしました。今になって考えるとその当時は貸出情報がデータベース化されているわけではないのですから、膨大な紙カードから延滞者を見つけて連絡をとるのはなかなか大変な作業なのではなかっただろうかと思います。
本をさがす利用者にしても、今のような検索端末はありませんでした。十進分類番号を表示した案内図があって、それを頼りに目的の書架を探し出すのです。ですから調べ物のために様々な分野の本を自力でサクサク見つけるためには十進分類を把握していると効率的でした。もっともカウンターにいる司書さんに本の名前を言えば一瞬のうちに目的の書架を即答してくれました。大した職人技です。
私が好んで足を運んだ図書館は公園のはずれに建つ厳めしいつくりの古い図書館でした。児童図書以外の一般書籍は「書庫」にありました。大きな吹き抜けの空間に階段のついた鉄材づくりの櫓があって、その各層に書架が並んでいました。それぞれの層は平均的な大人の背丈ほどしかなく、圧迫感もありましたが同時に図書館らしい落ち着きを醸し出してもいました。こうした構造の書庫は昭和の中頃までに建てられた公立図書館、大学図書館の多くに見られましたが、最近はこうした造りの図書館は建てられなくなりました。私の思うところ、耐震性や防火性能に難があるためではないかと思います。そういえば20年ほど前に京都・四条河原町のジュンク堂書店に入ったら懐かしい鉄製櫓の書架でした。今でもそうなのでしょうか。
閲覧席は無骨な木の机で、当時オフィスによくあった回転式の椅子が並べられており、向かいの席との間は磨り硝子で仕切られていました。同じ机をシェアする誰かが消しゴムでノートをゴシゴシ擦ると机が盛大に揺れ、磨り硝子がビリビリ鳴りました。
昭和の終わり頃まで図書館の一角、あるいは図書館の入った公共施設の一角にはちょっとした売店があって人の良さそうなおばちゃんがパンや飲み物を売っていました。あんパン、チョコパン、カレーパン、黒糖蒸しパン、三角パック牛乳、コーヒー牛乳、紙パックのオレンジジュース、りんごジュース、缶コーヒー、ヤクルトジョア、瓶入りのコーラ(飲み終わったら瓶を返しにいきます)…そんなところでしょうか。図書館の近くにコンビニはありませんでした。現在はその図書館から歩いて3分以内の距離にファミマ、ローソン、セブンがあります。売店はいつの間にか無くなりました。
私が中学1年のとき、その図書館の閲覧席にいつも司法試験の本と六法とぶ厚い判例集をバリケードのように積み上げている、「おにいさん」と言うには少し年齢を過ぎた男性がいました。私が中学2年になったときもやはりその人はいました。中学3年生になってもやはりいました。今の司法試験とちがって何歳になっても何度でも再チャレンジできた時代です。あの人はその後司法試験に合格したのでしょうか。
ほんの30年ほど前の話です。そして、もう30年も昔の話です。
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