昭和の筆箱 8面・10面・12面?!

私が小学校低学年の頃、男の子が持つ筆箱といえば樹脂製の箱型のものが主流でした。現在のスチール製や布製のペンケースに比べて幾分しっかりした造りではありましたが素朴でシンプルで、つまり極めて実用的な文房具でした。


私が小学校に上がってしばらく経った頃に「両面」の筆箱が売り出されました。両側が開いてそれぞれ収納できるタイプです。子供たちは表側に鉛筆や消しゴムをいれ、裏側には定規や算数タイルなどを入れました。純然たる筆記具とそれ以外のものを分類できるという意味において利便性があったと言えます。私も友達が持ってきた両面筆箱を見て欲しくなり親にせがんで買ってもらいました。片面の筆箱に比べてどこかしら大人びた雰囲気があり上級生に近づけたような気がしました。それからさらにしばらく経つと、鉛筆を入れるところと消しゴムが入るところを分離した「3面」の筆箱が登場しました。


ここまではよかったのです。


ところがその後、表側・裏側それぞれ2室を備えた「4面」。続いて全体が二つに折れ曲がる構造の「8面」、さらに接合部分も収納にした「10面」とエスカレートし、ついには「12面」という複雑きわまる構造の筆箱まで登場します。そうした新奇な(珍奇なと言うべきでしょうか)筆箱が登場するたびにクラスの誰かが持ってきては見せびらかし、他の子供たちは家に帰るなり「持っていないのは僕だけだ」と親をなかば脅迫して買ってもらい、次の朝には得意げにランドセルから取り出して同級生に見せました。子供たちの競争心と流行に後れまいとする子供なりの同調性を巧みにつかんだマーケティングの勝利です。


構造が複雑になるに連れて、当然ながら一つ一つの収納スペースは薄く小さくなり実用性からかけ離れていきました。何しろ物がまともに入らないのです。10面を突破するころには2枚組の三角定規が別々にしか入らないし、消しゴムも小さなものしか入らないしという具合に、格好ばかりで使うには不便というシュールきわまるものになってしまいました。


その上あまりにも入れるところが多いため何をどこに入れたのやらさっぱり分からなくなってしまいます。サファリジャケットのどこのポケットに何を入れたか分からなくなるのと同じです。こうして子供たちは筆箱から何かを取り出すたびに捜し物をしなければならなくなりました。


この「多面化競争」はあるとき「缶ペン」という極めてシンプルなスチールペンケースが登場したことで突然の幕引きとなりました。複雑になりすぎたものから一転シンプルな実用性への回帰という、よくある話です。缶ペンの表蓋にはさまざまなアニメキャラクターがプリントされていたり、プロ野球チームのマークやロゴが入っていたりしました。ほぼ同時期に様々なデザインの布製ケースも流行りはじめます。こうして多面筆箱フィーバーはあっという間に収束しました。別の見方をすれば「面の数」という一元的な競争から、他の子が持っていないデザインという多元的な個性表出に成熟したのかな、とも思えます。


今ふりかえるとこの筆箱多面化競争はそれから10年ほど後に訪れたバブル経済を連想させる何かを感じます。


ほんの30年ほど前の話です。そして、もう30年も昔の話です。

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ひろたよしゆき フリーライター 翻訳者