城砦 アラフィフ引きこもりの言い分 1

「あの人たちが私の人生を台無しにしたの。なにもかも、ぜんぶあの人たちのせいよ。」

柊子(とうこ)は、彼女の両親のことを「あの人たち」と言った。

 「だからあの人たちは罪を償うべきなのよ。私に対して」 


朝から厚い雲に覆われた街は薄暗い。国道に面したカフェはその上を走る首都高速道路の影が落ちているせいで尚更に薄暗い。僕らは窓際の席ではす向かいに座っていた。僕のコーヒーはもうほとんど無い。一方、彼女の前に置かれたレモンティーは一向に減る気配がない。ポットにもう一杯分入っているはずだけれどとっくに冷めているだろう。柊子が「あの人たち」と言うたびに彼女の目尻は吊り上がり、声は憎しみに揺れた。かれこれ2時間近く彼女は両親への憤懣を蕩々と語り続けている。話は軌道を少しずつ変えながらも似たような所をぐるぐる回っている。彼女が真っ直ぐに僕を見据えたまま話すので、僕は窓の外を行き交う人波に視線を逸らして居心地の悪さを凌ぎつつ、彼女と会う約束をしたことを半ば後悔し始めていた。 


僕は増田浩平。46歳。都内の人材派遣会社で管理社員をしている。大学を出て最初に勤めた教材販売会社が数年で倒産してしまい、それから紆余曲折を経てなんとか今の会社に職を得た。僕と柊子は経済学部で同じゼミにいた仲で、学生時代はけっこう仲の良い友達だった。卒業してから5年くらいの間は半年に一度くらい同級生同士で集まって飲むこともあったのだけれど、だんだん皆それぞれの生活に没頭して互いに疎遠になった。よくある話だ。そんなわけで彼女とも20年近く会っていない。 


去年の暮れ、僕は10年ぶりくらいに大学の同級生に宛てて年賀状を出した。今から考えるとその気まぐれがまずかったのかも知れない。正月が明けるや否や彼女から「久しぶりに会って話さない?」という内容のメールが来た。僕が年賀状を出したのは年の瀬も押し詰まってからなので元旦には届かなかったはずだ。「元気にしていますか?」程度の添え書きしかしなかった僕の年賀状を見て、なぜか彼女は僕が期待もしなかったほどに反応し、速攻で連絡をとってきたらしい。長年疎遠だった友達に会えるのは悪くない話だけれど、これは警戒すべきパターンだ。新興宗教か、または訳の分からない自己啓発セミナーとやらに勧誘されるか、あるいはネズミ講まがいの話をされるのかも知れない。とは言っても、そういうことなら僕はきっぱり断るか、あるいは適当に受け流すかして躱す自信がある。そもそもそういった悪い想像は全て杞憂であって、単に彼女は話し相手に飢えているだけなのかも知れない。予想外の展開があるたびに悪いほう悪いほうへと想像力を働かせて身構えるのは僕の悪い癖だ。彼女を通して同級生たちの近況が聞けるかも知れない、と僕は思いなおし、日曜日の午後を空けて彼女に会うことにした。 


約束した午後2時よりも10分早く柊子が指定したカフェに着くと彼女はもう来ていた。テーブルにはシンプルな紅茶のポットとティーカップが置かれている。水を持ってきたウェイトレスに僕はコーヒーを頼んだ。いったい何から話したものだろうと戸惑いがちな僕に、彼女のほうが「久しぶり。いつ以来だっけ?」と切り出した。その爽やかな笑顔と口調が学生時代と変わっていないように思えたので僕は警戒心を解いた。やはり新興宗教だのネズミ講だのという線は僕の取り越し苦労だったようだ。僕が自分の近況を話したところで話題は同級生たちの近況に移った。誰それの子供がどこそこの大学に合格したとか、誰それは今ニューヨークにいるとか、そんな話だ。彼女は彼女なりに僕は僕なりに互いの知っている限りの情報を交換をし合ったところで、そういえば柊子の近況を聞いていなかったことに気がついた。「柊子は最近どうしているの?」と僕が水を向けると彼女は「引きこもりよ。引きこもり。」と事も無げに返した。


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