城砦 アラフィフ引きこもりの言い分 3
「私ね、子供の頃から自分のしたいことを何一つやらせてもらえなかったの。」彼女の表情や口調から爽やかさがいつの間にか消えていた。僕のほうに向き直り、彼女は語り始めた。「私がピアノを習いたいと言ったときも、バレエをやりたいと言ったときも、うちにはそんな余裕はありませんの一点張りでやらせてもらえなかった。妹は書道教室にも行ったし公文にも行ったのよ。子供心に、この違いは何なの?って思った。今になって思い返すと、あれは『えこひいき』なんていうレベルじゃない。悪意よ。これ見よがしに妹と差をつけることで『私に人としての価値がない』と思わせて意図的に傷つけたのよ。これって立派な虐待よ。精神的虐待。ねえそう思わない?」さっき心配した通りだ。僕にはうまくリアクションが出来そうにない。「そうだね、虐待とも言えるかもね」と曖昧な相づちを打つしかなかった。そう言えば彼女には妹がいたのだと、彼女より4歳年下の物静かな女の子を思い出したおかげで何とか気持ちを紛らわせた。会話が彼女から僕への一方通行になり、もはや会話という代物でなくなってきたのはこの辺りからだ。
僕の思うところ、家の経済的事情で習い事をさせてもらえないのはさほど珍しいことではない。「妹だけが習い事をさせてもらえた」と聞けば理不尽と言えないこともないけれど、ピアノにしろバレエにしろ結構お金のかかる習い事だと思う。ピアノを習うとなれば楽器を買わなければならないだろうし、バレエの場合レッスン代とは別に発表会に出るための高額な積み立て金を負担しなければならない、と誰かに聞いたことがある。もっとも「高額」というのがどのくらいなのか想像もつかないけれど。それに比べて書道や公文となるとはるかに庶民的な習い事だと思う。僕が小学校3・4年生だった頃にはクラスの半分くらいの子供が公文、書道、そろばんのどれかに通っていた。柊子だって書道や公文に行きたいと言えば行かせてもらえたんじゃないかな?少なくともこの一件から、たちの悪い依怙贔屓があったとまでは言えないし、ましてや精神的虐待というのは誇大にすぎる。そんな疑問が僕の心の底でくすぶり始めたけれど、ここで口を挟まないほうがいいと感じたのでここは黙っていることにした。
親と子の気持ちがすれ違うことは珍しくはないと思う。ふりかえれば僕自身も親を心底嫌った時期がある。たしか高校生の頃だ。一日も早く家を出たいと思った。けれども社会人になって、自分で生計を立てることがどんなに大変なことなのかを知り、家族を養うということ、子供を育てるということが途方も大変なことなのだと気づくにつれ、親を嫌い、憎んだ昔の自分がとても子供じみていたと感じるようになった。要するに、親には親の愛情の示し方というものがあったのであり、不幸にして親の送信と僕の受信との周波数が食い違っていただけだ。とは言え、今でも親に対して腹が立つことはある。自分の中に自分が嫌っていた親の欠点を感じてぎょっとすることもある。けれども今僕の前で彼女が見せているのはそういう次元のものではない。
アラフィフ引きこもりの言い分 3
アラフィフ引きこもりの言い分 7
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