城砦 アラフィフ引きこもりの言い分 9
「その大島って子はすっかり先生気取りでいい気になって。新システム稼働してからは朝から晩までみんなして大島さん大島さんよ。一般社員ばかりじゃなく、情シスの講習を直接受けたはずの係長まで『大島くん、これどうやるんだっけ?』なんて相好崩しちゃってさ。無能なクソ上司がバカ女を余計につけ上がらせる構図よね。で、大島が私に、頼んでもいないのに『佐野さんは大丈夫ですか?分かりますか?』って勝ち誇ったような顔でのぞきこんできたとき、私ついにキレたの。どうして私が後輩から『大丈夫ですか?』なんて言われなくちゃいけないのよ。つまり、彼女を代表に選んで係内の指導役にしたってのは私に対する嫌がらせ。私にはそれがすぐに分かったから頭にきて、まだ昼少し前だったけれどロッカーの自分の荷物ぜんぶ紙袋に入れて バックレてやった。せいせいした。」
せいせいしたのは柊子よりもむしろ他の社員のほうだろう、と僕は思った。話の流れからして、後輩から教わるということが柊子にとって屈辱だったのだろう、ということは理解できた。歪んだ認識ではあるけれど、そういう歪みを多かれ少なかれ誰しも持っており、それを足枷にして人生を歩むのだ。それはよしとして、なんとも非常識で子供じみた辞め方をしたものだ。まだ20代の頃のことと考えれば大目に見られないこともないけれど、それを若気の至りと恥じるのではなくまるで武勇伝のように語る48歳の女を きっと誰も救えまい。
「自分のしていることが分かっていない、っていうのもあるのよね。」「うん、そういう人いるよね」僕は相づちを打ちながら、たぶん社内では柊子のことを《自分のしていることが分かっていない人》と陰でささやきあっていただろうと思った。「自分のしていることが分かっていないという点はあの人たちも共通してるかも。」「あの人たちって?」「親よ。うちの親。鬼親。」僕は暗澹とした気持ちになった。実を言うと自分の親を叩きのめすような彼女の話を聞き続けることは僕にとって生理的に受け付けがたいものがあり、攻撃の矛先が変わったことに少しだけほっとしていたのだ。話が周回軌道に入り、ふたたび両親への攻撃が延々と続く気配がある。僕は出かかったあくびをなんとか噛み殺した。
「自分たちのしていることが子供の人生を破壊していくんだっていうことに気付かないのかしら?。そうそう、私ね、鬼親って二種類存在すると思うの。自分達が子供を虐げている自覚のある鬼親と、自分では気付いていななくて愛情を注ぎ込んでるつもりの鬼親。結果はまぁ同じなんだろうけどね。鬼親のせいで自分の思うとおりの人生を生きられなくなったり、私みたいに引きこもりになったり、最悪自分の命を断つことになる人が何万人もいるのよ。」僕もそういう人たちがいることをテレビで見たのを思い出した。けれども柊子がその一人なのだろうか?彼女はとっくに冷めてしまったポットの紅茶をカップにつぎ足した。そういえばウェイターはもう水を注ぎに来ない。そろそろ僕たちに去って欲しいのだろう。
柊子はそこで肩を大きく上下させて深呼吸をしたように見えた。「要するに、私がこうして引きこもっているのは私のせいじゃないの。あの鬼親のせいってこと。」彼女の声色から、彼女がそれをいちばん言いたかったことなのだろう、と僕には感じられた。何時間にも及ぶ話の終着点であり、彼女が僕と会いたかった理由もここにあるのだ、とさえ思う。おそらく柊子は長い間「自分のせいじゃない。私は悪くない。」と日々自分に言い聞かせて過ごしてきたのだ。それを聞き届けてあげたことで、僕は自分の役目を果たせたのだろう、と思いたかった。どうせ彼女のために何かができるわけでもないのだ。だから僕はまとめに入った。そろそろ本当に切り上げないと帰りの電車があぶない。
城砦 アラフィフ引きこもりの言い分 9
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