差別・偏見をあらわに話す人2 英会話サークルに出没する困った人たち05
差別的発言や偏見感情を臆面もなく語るのは品性を欠いたふるまいですが、そういう発言をする人はそもそも自分の認識が歪んでいるということが分からないのですから(偏見とはそういうものですから)、ある意味しかたのないことです。しかし英会話サークル(or英語クラブor英語学習会etc)に集う人々の大半はおそらく、オープンでリベラルな考え方を指向する人だと思うし、私もどちらかといえばそうだと自負しています。ですから、あからさまな差別・偏見を蕩々と語られると、げんなりしてしまいます。
前回は特定の職業、ないし性別に対する偏見の例を挙げたのですが、もっと多いのは特定の国、民族に対する偏見と、性的マイノリティに対するものです。どちらも私には不愉快な差別です。民族差別がらみでは近隣アジア諸国の人々に対するもの、性的マイノリティがらみではとくに同性愛者に対する偏見が多い気がします。よくよく考えてみれば、英会話サークルにはさまざまな背景、年齢、職業、社会的階層の人が雑多に集う場であり、いわば「社会の縮図」と言えます。つまり実社会における差別・偏見のありようが英語学習の場にもそのまま持ち込まれているということでしょう。とにかく英語学習会(or英会話クラブetc)において、どこそこの国の人には犯罪者が多いとか、同性愛は気持ち悪いとか、そういう放言に遭遇しても、結局のところ他の参加者は聞き流すしかありません。
そこまで露骨な偏見でもないかと思いますが、よく非ネイティブ、特に中国系、韓国系、東南アジア系の人々が話す英語の発音がひどくて何を言っているのか分からないと、侮蔑を織り交ぜてあげつらう人がよくいます。そういう人にかぎって自分の発音こそ聞くに堪えないもので、文法もめちゃくちゃであることが多いのですが、自分のことを棚に上げて他人の発音をあげつらうのを聞いていると私は内心で失笑してしまいます。私見になりますが私が出会った中国人、韓国人、その他東南アジアの人たちは、平均すると私たち日本人よりもずっと英語が上手です。また、大半の日本人が話す英語には少し聞いただけでたちどころに日本人だと分かる日本語なまりがあります。そのことを他国の人にあげつらわれたら私達はどう感じるでしょう? 私たちが外国へ行って、英語でどうにかこうにか意思疎通をはかるとき、その成否の大半は、私たちの下手くそな英語を懸命に解読しようと耳を傾けてくれる相手側の寛容さに依拠しているのだということを忘れてはなりません。
そもそも国際語たる英語を学ぶことと、他国の人々に偏見・差別を持つこととが併存している現実は、私にはどこかしらちぐはぐに感じます。
ところで私は常々、差別的な発言をする人の背後には根深いコンプレックスが存在するのだろうと思っていますが…これは私の「差別的発言をする人に対する偏見」でしょうか?(笑)
シリーズ 英会話サークルに出没する困った人たち
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