議論をふっかけてくる人 英会話サークルに出没する困った人たち 08
英会話サークル(or英語勉強会or英会話クラブ)のセッションで、ときおり議論を挑まれて困惑することがあります。意見交換という範疇をはるかに越えて、相手の話すことに異論を差し挟み、論の弱点や矛盾を突いて結局のところ「あなたの言うことは間違っている」と結論してご満悦です。
それがディベートのセッションであれば問題はないのですが、そのタイミングが参加者それぞれの体験を自由に話すフリートークの時間であったり、自己紹介あるいはグループで問題解決をする時間などであって、論を戦わせる場ではないにも関わらず、他者の発言を否定し反駁してかかるのです。
こうしたふるまいは参加者グループの雰囲気に暗雲を投げかけ、楽しく英語を学ぼうと集っている他の参加者の気分を損ねてしまいますが、どうやら本人としてはその人なりに真剣に積極的に参加しているつもりで、悪意はないらしいのです。悪意はない、悪気はない、という点がかなりくせ者です。
世の中には、コミュニケーションのあり方が少し変わっている人がいます。たとえば人と話すときに他者に対して上から目線で指示している、あるいは指導しているようなニュアンスになってしまう人や、常に相手の発言に対する「評論家」になってしまう人などなどです。会話が会話にならずどうしても議論になってしまう人もこの類なのかなと思えます。
あるいは「論を戦わせることが英語圏のコミュニケーションだ」と誤解(勘違い)しているのかも知れません。よく「日本人は議論が苦手な国民であり、そのため欧米と互角に渡り合えない」と言われます。議論をふっかけてくる人はこの定説を拡大解釈しているのではないかとも考えられます。
「日本人は議論が苦手」が仮に本当なのだとしても英語圏の人が年がら年中他人の言うことに突っかかっているわけではないはずですし、議論に強いことが文化のありようとして優れているともかぎりません。ところが、議論こそが英語圏文化中核であって、したがって衝突しあうことによって真に高度な英語力が培われるのだと勘違いしている人は少なくないようです。
あるいは、ありとあらゆることを勝ち負けの二元に位置づけるタイプの人なのかも知れません。相手を打ち負かすことにこの上ない快感を感じるディフィート指向の人なのかも知れません。
いずれにせよこちらには議論をする気はないので、ふっかけて来られると困憊するし、疲れてしまいます。議論になってしまった会話を、もとの和やかなものに軌道修正するのもなかなか大変です。
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